お地蔵さんの日 令和3年度



 第1回 お地蔵さんの日 令和3年4月23日 瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師
 第2回 お地蔵さんの日 令和3年5月24日 同上


 第3回 お地蔵さんの日 令和3年6月24日

源清寺(群馬県館林市)塚田晃大宗師をお迎えしました。


 皆様初めまして、私は源清寺の塚田晃大と申します。
 この度ご縁がございまして、こちらで少しばかりお話させていただくことになりました。
 とは言っても、お坊さんとして私はまだまだ若輩者です。人に説教をする程の知識と経験もございません。ですので、私が本山で修行中に学んだ事をお伝えできればと思います。

 さて、私がいるお寺は仏教の曹洞宗という宗派に属しております。曹洞宗は一般に座禅をする宗派です。ではなぜ座禅をするのか。悟りを開くために座禅を行うことはみなさんご存知だと思いますが、では悟りとは、座禅とは一体何なのでしょうか。
 話は変わりますが、私は修行中に典座寮という、簡単に言えば修行僧の食事を作る厨房にいたことがあります。私はそこに行くまで包丁もほとんど握ったことがありませんでした。
 何の経験もなく突然包丁を持たされ、いきなり日々の食事を作ることになり、最初はとても苦労いたしました。しかし、ひたすらに包丁を握る毎日の中で、いつの間にか包丁さばきが上手になっていることに気が付きました。また同時にこれが修行の重要な部分でもあることに気づきました。やるべきことにただひたすらに打ち込むということです。
 曹洞宗を開かれたお方である道元禅師のお言葉に「只管打坐」というものがあります。これは「ただひたすらにすわる」という事を意味します。よく我々禅僧は悟りを開くために座禅をすると思われていますが、厳密に言うと少し目的が異なります。悟りを求める自我をも手放すために座禅をするのです。少し矛盾したように聞こえるかもしれませんが、悟りとは所謂仏の心、そして仏の心とは万人に元から備わっている、自我が邪魔しているだけでただ気づいていないだけというのが曹洞宗の教えなのです。座禅とは、この自我に気づくことから始まります。
 私はただひたすらに包丁を握る毎日に「なんでこんなことをしているんだろう」と何度も疑問を抱きました。しかしながら、それが答えでもありました。人間はすぐ楽な方に行きたがるものです。それはとても自然なことです。かくいう私もできれば楽をしたいと思っております。しかし、何か一つでもやるべきことがあるとするなら、それに一心に打ち込む、それが「只管打坐」であり、悟りへの道、所謂ゴールへの一番の近道だと、私はこの時気付かされました。

 最後までまとまりませんでしたが、何か迷うことがあればとりあえず目の前のことを一所懸命にやる、そうすれば自ずと見えてくるものがあるということをお伝えしたかった次第です。つまらないお話で恐縮ではございますが、ここで私のお話は終了とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。



第4回 お地蔵さんの日 令和3年7月21日  瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師
第5回 お地蔵さんの日 令和3年8月23日  同上
第6回 お地蔵さんの日 令和3年9月24日  同上
第7回 お地蔵さんの日 令和3年10月22日  同上
第8回 お地蔵さんの日 令和3年10月24日  同上


第9回 お地蔵さんの日 令和3年12月24日

源清寺(群馬県館林市)塚田晃大宗師をお迎えしました。

皆さまご無沙汰しております、源清寺の塚田晃大です。
今年の6月ぶりにこちらでお話させていただくこととなりました。
相も変わらず拙いお話しかできないと思いますが、温かい目で見守っていただければと思います。

さて、本日はクリスマスイブです。皆さんご存じの通り、クリスマスはイエス・キリストの生誕祭でキリスト教の行事なので、仏教には関わりがありませんが、実は曹洞宗において重要な日でもあります。明日は石頭希遷大和尚というお坊さんの命日です。
 石頭希遷大和尚はまたの名を無際大師と申します。無際大師様は8世紀中国のお坊さんで、だるまさんとして有名な達磨大師様から続いて8代目であり、今の曹洞宗の流れを作ってこられたお方です。私が修行していた横浜の大本山総持寺には無際大師様のミイラが安置されておりまして、命日である毎年12月25日には御前でお経をお唱えいたします。
 この時お唱えするお経ですが「参同契」というお経をお唱えします。このお経は、先の無際大師様が残されたお経です。
 まず、お経というのは簡単に言えば悟りへの教えです。先ほど皆さんに詠んでいただきました般若心経もお釈迦様の教えの集大成です。参同契も同じく悟りへの教えが説かれているお経になります。では、どんな教えなのか。
私たちはよく区別をします。あちらに草が生えていて空が見えます。しかし、この2つに本来違いはありません。私たちが勝手に「草」と「空」という風に分けているだけです。でも実際に「草」と「空」は存在しています。
頭が混乱しそうですが、これは身近な問題でもあります。あの人はうるさくてイヤだ、この人は優しくて良い人だ、人間関係って大変ですよね。色んな人がいて好き嫌いが分かれることも多いですが、ふと立ち返ってみると私たちは皆同じ人間です。好きも嫌いも自分の色眼鏡です。でも一人ひとり違うのも事実。人間って実はすごく曖昧な存在です。
「万物おのずから功あり、当に用と処とを言うべし。」
「事存すれば函蓋合し、 理応ずれば箭鋒さそう。」
あらゆる存在には役割があるとされています。その役割と居場所がぴったり合えば物事はうまく進むと言われています。適材適所というものですね。でも厄介なのは、その役割というものはよく分からない。
「言を承てはすべからく宗を会すべし、 みずから規矩を立することなかれ。」
自分の役割を正しく理解するためにも、どんな話であってもそこから学びを得なければならない、自分から解釈を曲げてはならない。「参同契」の一節です。

 曖昧な私たちだからこそ、いつでも正しい役割を探すことはできます。歩む道を間違えないためにも「今」を大切にして生きてほしいと、無際大師様は最後にこう説かれています。
 前回同様、まとまりのないお話で大変恐縮ではございますが、私からは以上です。ご清聴ありがとうございました。

第10回お地蔵さんの日  令和4年1月24日  瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師
第11回お地蔵さんの日  令和4年2月24日  同上