お地蔵さんの日 令和2年度



令和2年3月までは月替わりで近隣・近県の宗師を導師様としてお迎えしていましたが、新型コロナの流行に伴い施設来訪者について制限を開始しているため、4月以降の導師については当施設事務長の岡田律雄宗師が務めています。


第1回 お地蔵さんの日 令和2年4月24日  瑞岩寺(群馬県太田市) 岡田律雄宗師
第2回 お地蔵さんの日 令和2年5月22日  同上
第3回 お地蔵さんの日 令和2年6月24日  同上
第4回 お地蔵さんの日 令和2年7月21日  同上
第5回 お地蔵さんの日 令和2年8月24日  同上
第6回 お地蔵さんの日 令和2年9月24日  同上
第7回 お地蔵さんの日 令和2年10月23日  祐光寺(新潟県柏崎市)中下大樹宗師
第8回 お地蔵さんの日 令和2年11月24日  瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師
第9回 お地蔵さんの日 令和2年12月24日  同上



第10回 お地蔵さんの日 令和3年1月22日

瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師をお迎えしました。

 先日、テレビをみていると「お経ってなに?」という質問がありました。
 その回答としては、「亡くなられた方、天国にいる方への・・・皆来てますよ、集まってくれていますよ。聞こえていますか?」という長々としたご挨拶や、「亡くなった方が上手に天国に行けるように唱えてあげるもの」などの意見であり、やはりお経とは「亡き方へたむけるもの」というイメージが強いものだなと再確認しました。

 しかしながら、実はお経は「我々が生きていくためのお釈迦様の教え」なのです。お釈迦様は生前多くの説法をされましたが、その死後お弟子さん達が説法をまとめ書き残したものがお経です。亡くなった人への言葉ではなく、生きている人たちが苦しみから逃れて、楽に生きていくための教えです。お経は生きている私たちのためのものです。生きていく拠り所、生きていく支え、そして安心して命終わっていける大切なみ教えが説かれてあるわけです。ですからお経本は大切に扱います。開く前はいただいて開く。お経が終わったら、また額にいただく。そして、畳や床などに直接置かない。お釈迦様が私たちに向けて説いてくださった大切なみ教えがこもっているものですから、丁寧に扱います。 いつもお地蔵さんの日に読む「般若心経」、これには仏教の大切な教えである「三法印(さんぼういん)」、 すなわち 「諸行無常(しょぎょうむじょう)」(この世のすべてのモノは変化していく) 「諸法無我(しょほうむが)」(この世のすべてのモノは繋がっている) 「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」(煩悩や迷いのない心静かな状態) の3つの教えのうち、諸行無常について教えています。

 いつもお地蔵さんの日に読む「般若心経」、これには仏教の大切な教えである「三法印(さんぼういん)」、 すなわち 「諸行無常(しょぎょうむじょう)」(この世のすべてのモノは変化していく) 「諸法無我(しょほうむが)」(この世のすべてのモノは繋がっている) 「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」(煩悩や迷いのない心静かな状態) の3つの教えのうち、諸行無常について教えています。般若心経は、実体のない「空」という考え方を教えてくれています。思い悩むことがあっても、何事にも執着せず、とらわれずに生きていこうということです。皆さんもそう心掛けて生活していただければと思います。


今回は説法の終了後に、参加者に
お汁粉が振る舞われました。




第11回 お地蔵さんの日 令和3年2月24日 瑞岩寺(群馬県太田市)岡田律雄宗師


第12回 お地蔵さんの日 令和3年3月24日

龍源寺(群馬県高崎市) 渡辺龍道宗師をお迎えしました。

 今月の3月11日はひとつの節目の年です。東日本大震災から10年が経ちました。復興がしっかりとなされたかというと難しいです。私の友人が南相馬市におりまして、お寺の副住職だったのが10年の月日を経て住職になりました。そのお寺も半壊でした。原発から23キロの距離にありました。20キロ圏内の方は避難しました。23キロは曖昧な地域なのでお寺の住職が逃げるわけには行かないと、停電の時にはろうそくの火を灯して過ごしました。それを見た市の職員が来て、これからお骨がたくさん来るからお寺を使わせて欲しいと言い、快く承諾しました。多い時で400名のお骨を預かりました。技術の発達によりDNA鑑定で段々段々お骨が減ってきました。毎年話しを伺っており、去年はあと2名でした。去年見つかった方は130キロ離れた石巻市から流れてきた方でようやく見つかりました。渡した方も渡された方も涙を流していたそうです。

 震災の当時の話、これは供養の話になります。供養とは「供えて養う」と書きます。何を「供えて養う」のか、それは「心」です。自身の「心」を「供えて養う」のです。これは大震災のときに私も教えられたのです。ボランティアで炊き出しをさせてもらいました。そこで仲良くなった人が仮設住宅に移りました。それまで体育館で暮らしていました 。そしてようやく住宅が完成しました。着の身着のままで出て来た方が多いです。それなので何か必要なものはないか、それを集めて持って行きますと言うと返ってきた言葉が忘れられない。それは「忘れちゃいけない、和尚さんが覚えていてくれれば、それでいい」たったそれだけでした。「忘れちゃいけない人が居る」、「忘れちゃいけない思いがある」、「忘れちゃいけない大切な事がある」、それを心の中にきちんとしまって前を向いて生きていく。その生きる支えにして頂きたい。

 供養というのは亡くなった方に対して行う、今を生き生かされている我々もその方のために、その方が笑ってくれる、その方が褒めてくれる、その事を考えて自分を律しなければならない。これがもうひとつの側面なんです。お互いがお互いを尊重し合う。そういった世の中であれば...。今コロナ禍で大変です。今同じ時代に生き生かされている我々が協力しお互いを尊重する。人を大切にする、そして自分を大切にする。また縁があって一緒になる仲間を大切にする。そういった世の中が健全な世の中、そんな風に思います。
 供養は我々の生きる支えにもなる。それを忘れてはいけない。忘れてはいけない大切な人がいる、忘れてはいけない大切な思いがある。その事をしっかりと思って一歩一歩真っ直ぐ前へ歩んで頂きたい。